2021年11月26日 秋陽・徳善寺 3 六地蔵の内の三体。造りを見れば名工の作ではないと想像できる。地元の農民が、一心に石を削り込んで作ったのだと思う。その信心深い健気な心を撮ってあげようと、シャッターを切った。秋の陽を受けた彼らは、柔らかく微笑んでいるように感じた。どうやら、物言わぬ石仏と私のコミニュケーションが成立したようだ。 カテゴリなしの他の記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (2) 1. I.Y. 2021年11月26日 07:44 おはよう御座います。 私が当寺へ行きましたのは、紅葉を撮りたいと思ったからでしたが、時期が早くすぐに帰ってしまいました。しかし、この様に注意深く粘り強く観察すれば、写真撮影のポイントは、様々見つかるものなのですね。目の前の素材を、どの様に調理味付けできるのか、写真は料理の世界と通じるものがあるのではと、感じました。 2. 写真教室講師 2021年11月26日 07:51 >>1 I.Yさんいつもコメントありがとうございます。 写真を撮る根本は、風景でも人物でも「観察する」ことが第一歩だと思います。 私も昨日、江ノ島、長谷方面に出かけましたが、人手が多く、思うような写真は撮れませんでした。でも興味関心を惹かれる場所には通うことが必要だと思います。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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私が当寺へ行きましたのは、紅葉を撮りたいと思ったからでしたが、時期が早くすぐに帰ってしまいました。しかし、この様に注意深く粘り強く観察すれば、写真撮影のポイントは、様々見つかるものなのですね。目の前の素材を、どの様に調理味付けできるのか、写真は料理の世界と通じるものがあるのではと、感じました。
写真を撮る根本は、風景でも人物でも「観察する」ことが第一歩だと思います。
私も昨日、江ノ島、長谷方面に出かけましたが、人手が多く、思うような写真は撮れませんでした。でも興味関心を惹かれる場所には通うことが必要だと思います。