2021年08月29日 石仏四景 3 報国寺の五輪塔。一見無造作に並べられているが、これらの石仏は141年続いた鎌倉時代の終焉を物語っている。新田義貞が後醍醐天皇に加担して鎌倉を滅ぼし、幕府は滅亡した。その戦の死者北条軍の墓だと言われている。もちろん庶民のそれではない、名のある武士や僧侶の供養のためである。数えきれない下々の者は、そこらに穴を掘り、埋められたり、海に流されたりしたのだ。風雪に耐え、丸くすり減り、苔むす石塊を見ると、しみじみとした感慨に耽る。 カテゴリなしの他の記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (3) 1. I.Y. 2021年08月29日 08:02 おはよう御座います。 先日NHkBSで、鎌倉幕府滅亡についての放送があり、追い詰められた北条一族最後は自害して果て、そのなか北条得宗家の一人、北条時行は逃げのび、鎌倉幕府再興のため生涯奔走した内容でした。しかし叶わず最期は処刑されてしまう。本日の写真、無造作に置かれた墓石から、ねんごろに弔う事が出来なかった、敗者の悲哀を感じます。 2. 写真教室講師 2021年08月29日 08:49 >>1 I.Yさんいつもコメントありがとうございます。 これは私の写真に対するモットーの一つですが、カメラの前にある対象に興味を持ち、調べるべきだと思っています。そのことにより、被写体に対して、深く入り込めるのではないかと日ごろから考えています。 3. 2。I.Y. 2021年08月29日 09:24 ご返事有り難うございます。 確かに被写体に対する先生の知識は深いと、日頃から感じております。それがあればこそ、感情移入も出来るのかなと思います。適切な例えかどうか分かりませんが、仏作って魂入れるでしょうか。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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コメント一覧 (3)
先日NHkBSで、鎌倉幕府滅亡についての放送があり、追い詰められた北条一族最後は自害して果て、そのなか北条得宗家の一人、北条時行は逃げのび、鎌倉幕府再興のため生涯奔走した内容でした。しかし叶わず最期は処刑されてしまう。本日の写真、無造作に置かれた墓石から、ねんごろに弔う事が出来なかった、敗者の悲哀を感じます。
これは私の写真に対するモットーの一つですが、カメラの前にある対象に興味を持ち、調べるべきだと思っています。そのことにより、被写体に対して、深く入り込めるのではないかと日ごろから考えています。
確かに被写体に対する先生の知識は深いと、日頃から感じております。それがあればこそ、感情移入も出来るのかなと思います。適切な例えかどうか分かりませんが、仏作って魂入れるでしょうか。